子供の頃、なりたかった「将来の夢」を思い出せますか?
僕は強そうだから警察官、劇的ビフォーアフターに出て家をぶっ壊したかったから建築家になりたいと思っていました。
でも今思うと、「将来の夢ってなんで職業で括られてたんだろ?」と疑問に思います。
『なりたい』と『やりたい』は似てるようで、全然違いますよね。
将来の夢がYouTuberと言う子供は『YouTuberになりたい』のか?
将来の夢というと、YouTuberになりたい子供が増えていると聞きます。
それ自体はプレゼンスキルやITの技術に強い子供が増えると思うので個人的に歓迎なのですが、本当に子供たちは『YouTuberになりたい』のでしょうか。
僕の予想も混みで、きっと多くの子供たちは『好きなだけゲームができる』『面白いものを好きなだけ買える』『有名になってチヤホヤされる』といった側面を見て、YouTuberになりたいと言っているんだと思います。
最初の動機はそんなものかもしれませんし、子供の考えることなんやからええやんけ!と思われるかもしれません。
でもたとえば人気ブロガーさんがPVを発表する記事を書き「今月はこれだけ稼ぎました!」と言っているのを見て「ブロガーになりたい!」と思う人は実際のところいると思うんです。
でもそれは「定期的に入ってくる収入が欲しい」あるいは「(たくさんのPVを稼いで)影響力を持ちたい」からであって心の底から「ブロガーになりたい」と思っているわけではないはずです。
そして『なりたい』が先に立った人は続けられません。
ブロガーとして成功している人に共通しているのは、「文章を書きたい」「メッセージを届けたい」というやりたいという思い。
YouTuberは「動画を出して楽しんでもらいたい」「多くの人に知ってもらいたい」と思っている人が成功しているんじゃないでしょうか。
「なりたい」はハードルが高い。「やりたいこと」はしょうもなくていい
「なりたい」ってハードルが高く感じませんか?
『イラストレーターになりたい!』と思うとトップで大活躍している人ばかりが浮かんで、そこにたどり着くためにやらなきゃいけないことがありすぎて「自分には無理だ」と思い込んでしまいます。それにすでに成功している人が持っているもの(YouTuberの例で言うとゲーム実況での人気)を欲しいと思ってしまうので、そこにたどり着く前につまらなくなってやめてしまうのです。
一方、『絵を描きたい』と思うと、もう絵を描くだけですから一歩を踏み出すスピードが早くなります。
やりたいことはどれだけしょうもなくてもいいんです。
大事なのは「やりたいこと」の高尚さではなく、本当にやりたいことを追求することです。
職業にしていくなら、「やりたいこと」だけでは成立しない
やりたいことは我慢せずやれ!と書きましたが、それを職業にしたいならワガママな願望だけでは叶いません。
例えば「絵を描きたい」を追求すれば自然とイラストレーターという職業にたどり着きます。
ところが「1日中人と喋っていたい」を追求して友達に電話を掛けまくってても仕事にはなりません。そういう人が職業にしていくには「お笑い芸人になる」とか「人生相談を受け付ける」とか「ニコ生主になる」とかを能力や嗜好に合わせた「なりたい」の選択肢が出てきます。
「ずっとゲームをしてたい」だったら、自由な時間が確保できる職業を探したり、ゲームをしまくってレビューや攻略記事をブログで発信するという手もあります。
もう大人なんだからやりたいことばかり追いかけてちゃダメ。社会人として働く場所があるだけありがたいと思え。仕事に我慢は付き物なんだし、もっと世間体を考えて行動すべき。
こういうアドバイスを全部無視すると人生は豊かになります。
— 橋本ナオキ イラストレーター (@Abhachi_Graphic) 2017年9月17日
以前こちらのツイートがバズった時、「やりたいことだけやった結果、失敗した人を知っています」とドヤ顔(顔は見えへん)で言ってきた人がいるんですけど「それは準備と工夫が足りなかったんちゃう?」としか思いません。(そんな失敗コースをたどっていたのが何を隠そう、このわたしです。)
今の時代、ブログやライブ配信・やりたいことを収益化する手段はいくらでもあります。
『人をぶん殴りたい』とかモラルに反したものでなければ(そういう人はボクサーになれるんかな)、しっかりと時間をかけて準備すれば「やりたい」を中心にして生きていくことは誰にでも可能だと思っています。
まとめ
何になりたいかより何をやりたいかを大切にしたほうがええ
この記事はこの本を読んで書こうと思いました。会社員でやりたいことができていないと感じる人には刺さる言葉が多いと思います。しかもタイトルに反して現実的な内容なので参考になると思います。